監督日記(2012年6月~9月)

6月19日
東海村へ村上達也村長さんのインタビューを撮りに行く。東海村はたくさんの原子力施設が立地され、東海第2原発もある。しかし福島原発事故後、村上村長は明確に脱原発を宣言。「首長には英断をしなければいけない時がある」の言葉に尊敬の念を感じる。

6月26日  29~30日
六ヶ所村出身で東京在住のKさんの撮影。26日は東京で、29~30日は六ヶ所村へ里帰りするKさんを追った。首都圏に暮らす自分と核燃を立地するふるさととの間で苦悩するKさんの思いを伝えたい。

7月5~7日
六ヶ所村泊地区の漁業Tさん一家の撮影。6月下旬、青森県の太平洋沖のマダラから福島原発事故由来と思われるセシウムが基準値を超えて検出された。漁連は水揚げを自粛。Tさん一家は生粋の漁師一家で、夏から秋にかけてのマダラ漁が生計の70%ほどを占める。「死活問題」と嘆いていた。自ら獲ったマダラを海に捨てるTさんの姿が痛ましい。

7月18~20日
再び六ヶ所村泊へ。泊地区の例大祭とみなと祭りを撮影。漁師さんたちは海の神さまへの信仰が厚い。大祭は年に一度の漁師さんたちのお祭りだ。Tさん一家も総出でお神酒とごちそうを神さまにささげる。自然をあがめ、自然と共に暮らすTさん一家の生活は、放射能とは相容れない。

8月5~6日
映画に使わせていただく音楽の件で、加藤登紀子さんと八戸で打ち合わせをする。登紀子さんには、映画の呼びかけ人のお一人にもなっていただいている。震災後、飯館村で作ったという「命結」(ぬちゆい)という素晴らしい曲をエンディングに使わせてもらいたいと願い出ていた。快く承諾していただき感謝。八戸の港でのコンサートも大盛況だった。

8月
編集作業のための文字起こしに、青森、福島、関東に散らばるスタッフ一同全力で取り組む。が、あまりの膨大な量と作業の大変さに 誰もが辟易。お盆休みを返上して取り組んでくれたスタッフもいて、この映画が制作できるのは、監督以上に熱意を持つスタッフのおかげと、ただただ頭が下がるばかりの夏でした!

9月10~12日
チラシ、ポスター用のスチール写真を撮りに福島へ。1年半ぶりに飯館村の方々にもお会いする。福島市へ避難されている86才のKさんが、ここでも畑を楽しんでおられる様子に安堵したが、「やっぱり戻りてぇ」の一言に胸が痛む。

9月以降
撮影はほぼ終了したので、同時進行していた編集作業に集中するべく取り組んでいます。

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