監督日記(2014年1月~3月)

2014年 年明け
 この年も怒涛の年明けで始まった。昨年末に2月中旬からのオーディトリウム渋谷での劇場公開が突如決まり、それに合わせて、映画パンフレット、個人販売用DVD、絵ハガキを制作することになった。協力者やマスコミへの告知や試写会等の広報活動、新聞、雑誌、テレビからの取材等々、さらにはちょうど映画の英語版制作も重なり、短期間に嵐のような作業をこなさなければならならず、本当に目の回るような毎日だった。とりわけ、デザイナーのはらだゆうこさん、配給担当の中山さんとは、連日深夜早朝に及ぶやり取りになり、期日前夜に印刷物が届くという、スリルと緊張の日々を共に味わった。

1月28日
 25日は東京四谷のイグナチオ教会で上映会とトークを催してくれた。この朝、本作に出演してくれた六ヶ所村泊の漁師さん、滝口栄作さんの訃報を受け取った。あまりのショックでしばらく呆然としてしまった。六ヶ所在住時代から親しくしていただいた。体調がすぐれないとは、映画の撮影時にもたびたび聞いていた。しかし…しかし…まだ65歳だった。28日のお通夜に駆けつけると、妻の久子さんが「恵ちゃん、東京から来てくれたの…」と言ってくれたが、気が抜けたようだった。遺影に私が撮影した写真を使ってくれていたこと、昨年11月に泊で上映会をした時、栄作さんも見に来て完成をとても喜んでくれたことが、せめてものお礼となっただろうか。

2月7日~10日
 南九州での初上映会とトーク。そもそもは、映画のチラシデザイン等を一手に引き受けてくれている熊本のはらだゆうこさんが、地元で企画してくれたことから始まった。3.11後に熊本へ移住されたはらださん夫妻であるが、地元や周辺に積極的に働きかけ、あちこちのイベント等でチラシを配り、本当に精力的に広報や準備をしてくれた。そのかいあって、9日あさぎり町という地方の公民館は老若男女たくさんの方々で埋まった。中には「いったい何の映画かわからないけど来た…」と見受けられる方々もけっこういたりして。地元の方々との交流も楽しかったです。
 7日は鹿児島県南大隅町。ここは以前TBSのドキュメンタリー番組でスクープされたが、前町長が東電と関係ある人物と秘密裏に、原発や放射性廃棄物処分場等の誘致に関する委任状を交わしていて大問題となった。そこでの上映会。夜地元の方々が三々五々会場に集まってきてくれて、その雰囲気は、かつて反対運動が盛んだった頃の六ヶ所村泊と完全に私の中でダブったのだった。あ~、泊のカッチャやトッチャたちもこんな風だったよな~。「中央」から遠く離れた地理的条件、巨大開発計画の歴史、そして原子力施設…。六ケ所村との類似点が多く、何か不思議なつながりと親近感を感じた。日本ミツバチの蜂蜜ってこんなにおいしいものなのか~!も、ここで体験させていただいた。
 8日は川内原発が立地する鹿児島県川内市。鹿児島県での上映会は、古い友人で鹿児島市議の小川みさ子さんがコーディネイトしてくれたのだが、「上映会をするなら是非現地で…」というみさ子さんの立案で、あえて都会ではなく、南大隅町と川内市での上映となった。川内は以前も私の「六ヶ所村写真展」を開催してくれている。会場は満席近くなった。主催の鳥原良子さんとは、5月11日上野での「女たちいのちの大行進」で再会でき、嬉しかった~。
 10日は熊本県水俣市へ。現地の方に案内していただき、語り部の方からもお話を聞く。あらためて水俣事件を学ぶと、福島原発事故が水俣の延長線上にあることが一層明確になる。この国の「国策」と地域住民、経済と環境の力関係の構造は、何も変わっていないのではないかと気づかされる。充実した体験の九州上映会でした。

2月15日からの3週間
 オーディトリウム渋谷での初劇場公開。初日の15日、東京は記録的な大雪。交通機関はほとんどストップしたが、上映は予定通り行うという。この日は加藤登紀子さんがトークゲストに来てくれることになっていたが、泣く泣く中止。スタンバって下さっていたのに、ごめんなさい。せめて監督挨拶だけでもと、電車の再開を待ち渋谷へ。しかし、渋谷までなんと3時間かかってしまい、挨拶は間に合わなかった…。それでもこの日、7人来てくれたそう。こんな超~悪条件の中で見に来てくれた方々お一人お一人の手をとって、お礼を言いたい気分になりました。

3月20日
 この日は、六ヶ所村の隣、東北町で上映会とトーク。主催は、JAゆうき青森農業者政治連盟。委員長は映画制作スタッフの一人でもある荒木茂信さん。会場へ行くと、昔お世話になった懐かしい方々とも感激の再会。しかしお互い月日の流れを感じます…。
 東北町はニンニク、長芋、ごぼう等の一大生産地で、当初から強い核燃反対運動がある町だ。核燃城下町と化した六ヶ所村周辺地域で今も異議を唱え続けていることに、この地で生きてきた農業者としての自負と力強さを感じる。原発(核燃)立地問題を考えると、原発は常に経済的に弱い地域を狙ってきたのだとあらためて思う。

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