監督日記 ⑤

2011年10月27日
今日から3日間、経産省前で、福島の女たちの座り込みだ。福島の女性たちが黙ってはいられないと、声を掛け合って準備してきた。
朝9時過ぎ、福島から、関東から、全国から、続々と老若男女が経産省前に集まってきた。ピークには700人を数えたという。私も各地で活動されている懐かしい人方々と、たくさん会うことができた。まるで同窓会のよう。

私が感動的だったのは、福島の女たちによる政府交渉だ。私はこれまで、原発問題に限らず、幾度となく政府への申し入れや交渉を取材してきたが、多くの場合、やむを得ないことではあるが、激昂のあまり乱暴な言葉や野次が飛ぶことが多い。しかし、福島の女たちは冷静で理性的に、かつ情熱的に福島の人たちの苦しみや葛藤、子どもたちへの想い、そして原子力制作転換の具体的な提案をしたのだった。

最終的に人数が限定された中で、取材者として私を優先的に中へ入れて下さったあの場にいた他の取材者のみなさん、本当にありがとうございました。感謝しています。

10月30日~11月1日青森行
30日は、三沢で青森映画制作会議。これまでの映像を短く編集したものを見る。会議後、津軽へ。
翌日、板柳のリンゴ農家の方の収穫風景撮影と弘前周辺で紅葉の撮影、今後の取材の打ち合わせなどをする。

11月6日
福島か自主避難してきているママたちのネットワークの会から制作を頼まれていたDVDを仕上げ、渡す。
三春の美しい滝桜に始まり、福島の美しい景色をたくさん取り入れて、福島の現状の映像とママネット代表のMさんのインタビューなどで構成した。
Mさんは、何度見ても泣いてしまう、と言う。故郷を離れ、家族も離れ離れに暮らさざるを得ない方々の心情に胸が痛む。

11月12日~14日青森行
12日、六ヶ所村泊のYさんに10数年ぶりにお会いする。かつて「核燃から子どもを守る母親の会」のカッチャ軍団の一人として活躍された方だ。80才に近くなった今、福島原発事故のこと、かつての反対運動のことなどを語ってくれた。

13日は、朝早くから雄大で心打たれる泊の海を撮影した後、「核燃から漁場を守る会」のTさんを訪ねる。Tさんは、むつ小川原開発反対運動から核燃反対運動へと、ずっと活動されてきた方だ。米内山義一郎さん、寺下力三郎さんらから受け継いだ反骨精神ここにあり、という感じの人で、核燃城下街の六ヶ所村で、今だ「反対」の看板を掲げて頑張っている数少ないお一人だ。

11月22日福島行
朝早く車で発って、郡山市の農家のNさん宅に行く。Mさんは有機農業映画祭を通じて知り合った方で、米を中心に野菜も出荷している。消費者と直接取り引きをする「提携」が中心だそうだが、原発事故の影響で、今年は米の販売は例年の三分の一だと言う。
代々農家で、真っ直ぐで飾らない方だ。この地域で積極的に取り組んでいる農家民宿やグリーンツーリズムでも中心的な存在だ。取り引きのある都会のグループや生協の集まりで、福島の農家の実状を話されるというので、現在Nさんの“追っかけ”をやっています。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする