監督日記(2012年1月~3月上旬)

1月14日
午前中、大熊町から東京へ避難されているTさん一家を訪ねる。お父さん、お母さんとまもなく2歳になる長男のゆうちゃんの3人は、もうじき誕生予定の赤ちゃんを待っている。公園での親子3人が遊んでいる様子などを撮影させてもらう。ゆうちゃんが、お父さんと一緒の滑り台が大好きで、何度も何度もおねだりする様子がなんとも愛おしかった。
終了後、今日明日と横浜で開催される「脱原発国際会議」の取材に向かう。

1月14~15日 脱原発世界会議
2日間にわたる世界会議は、国際的な雰囲気で多くの人出だった。島田の六ヶ所村の写真展も、「再処理とめたい首都圏市民の集い」の主催で開催。たくさんの人が足を止めて見てくれた。多くの人に見ていただく機会を作っていただき、主催者の方々、本当にありがとうございました。
島田の主な目的は、一日目のチェルノブイリの子どもたちを支援しているアントン・ヴドヴィチェンコさんのへの単独インタビューと、2日目の脱原発首長会議の取材だった。とりわけ、首長会議での「自治体の首長は大きな権限を持っている。脱原発の首長たちがつながれば、政府を動かすことができる」という首長たちの動きに、大きな期待と希望をもった。

1月28日~30日 青森制作会議と下北ツアー
28日は青森での映画制作会議。福島からも参加者があり、福島の様子などを聞く。これまで撮影したものを短く編集した映像を見て、意見交換をする。十和田からお子さん連れの一家も初めて参加してくれた。
29日は、三沢から六ヶ所村を通り、下北半島へ。夏の下北ツアーが好評だったので、冬にもやろうと企画されたものだ。「猛地吹雪ツアー」と銘打ったが、この日と翌日は珍しく快晴だった。しかし今年の雪はとんでもなく多い。
下北ツアー開催中の真夜中、Tさん一家のお父さんから電話が入る。赤ちゃんが産まれそうとのこと。赤ちゃん誕生シーンも撮影させていただくことになっていたので、あわてて東京にいる撮影者を手配する。誕生の瞬間には間に合わなかったが、産まれたての赤ちゃんを撮影させていただいた。Tさん、おめでとう。

2月5日
Tさんの赤ちゃんの撮影にうかがう。ちょうど産まれて1週間目。むちゃむちゃかわいい。抱っこもさせてもらう。名前は「福ちゃん」。福島の福と、福がついて回るようにという思いで名付けたという。震災、原発事故、避難と大変な年にお母さんのお腹の中にいて、どんな思いで産まれてきてくれたのだろう。本当に無事に産まれてきてくれてありがとう。なんだか、私も孫が産まれたような気分になってしまった。

2月16日
Tさんご主人の大熊町への一時帰宅に同行させてもらう。私は何度目かの20キロ圏内立ち入りだが、回数を経るごとに、防護服やチェックが簡易になっていく。Tさん宅は、わずか1年半前に建てた家。いろいろこだわった愛着のある家だ。それをすべて置いていかなければならなかった無念さは、計り知れない。冷静な口ぶりのTさんだが、胸の内にはたくさんの複雑な思いが渦巻いているのだろう。住んでいた頃、よくゆうちゃんを連れていったという、新鮮なたまごやお菓子を売るお店やショッピングセンターに案内してもらった。ひと一人いない街…。野生化した牛たちの群れ。たぶん当分は帰ってこれないだろう故郷…。こんな風景を見ることになるとは…。原発を許してきた時代の大人の一人として、あらためて大きな責任を感じる。

2月19日
郡山の農家Nさんの住む郡山市逢瀬町の農家のお母さんたちが、東京渋谷で一日出張農家レストランをするというので、その取材に行く。その名も「福島の母ちゃんズ」。お父ちゃんのNさんも、母ちゃんたちのお手伝い。福島を応援し、福島産の野菜や米を使用した食事であることを了承済みの方のみの完全予約制だ。渋谷の裏通りを入った小さなお店を一日貸し切り、逢瀬町にゆかりの方々などたくさんのお客さんで、母ちゃんたちが休む暇もなくにぎわった。メニューは地元料理のもち定食。あんこやごまだれなどのさまざまなもちメニューの他、母ちゃんたちお手製の漬物や具だくさんの汁物など、どれも素朴で愛情いっぱいのお料理。元気いっぱい和気あいあいの福島の母ちゃんたち。今度は逢瀬町の自然の中でいただいてみたいと思った。

2月25日
この日は、弘前の「放射能から子どもを守る母親の会」の定例デモの日。この日で254回目のデモだ。今年は例年にない大雪の年。デモは雨の日も、雪の日も、休むことなく続けられてきた。この日はちらちらと降る雪の中でのデモ。歩道にもこんもりと雪が盛り上がっている。足元を注意しながら、いつもの弘前市の繁華街を通るデモコースを進む。津軽の女たちの「じょっぱり」(津軽の方言で意地っ張り)には、頭が下がる。

3月3~5日
3日は、青森での映画制作会議。4日から六ケ所村へ。いつもの3倍くらいの雪にびっくりする。
泊地区でかつての核燃に反対する「カッチャ軍団」のカッチャ(お母さん)の一人とお会いする。威勢のいいのは相変わらずで、うれしくなる。表立った反対運動は今はないが、その魂は健在だ。
この時期は泊の磯で採るこんぶ、ふのり、岩のりなどの季節。カッチャが、自分で採ってきたコンブをゆでて醤油漬けにしたものを出してくれる。トッチャがストーブの上でスルメを焼いてくれる。冬の泊の王道の味だ。これがめぇ(おいしい)んだよなぁ。外はなんぼ吹雪いても心はあったかだぁ。

3月7日
六ヶ所村議会むつ小川原エネルギー部会の取材。この日は資源エネルギー庁から政府のエネルギー方針について説明に来ていた。長い説明の後、六ケ所の議員さんたちからは「国は今まで原子力エネルギーを推進してきて、ここで急に脱原発と言い出し、国民を混乱に陥れるようなことでは困る。わが村は原子力エネルギーを基本としてやってきた。今後も原子力を基本としてエネルギー政策を実施して欲しい」という趣旨の意見が大勢を占めた。議会終了後、議員の一人のHさんにインタビューする。

3月8日
大熊町から避難してきているTさん一家の長男のゆうちゃんが、いわき市で甲状腺の検査を受けるというので同行させてもらう。まもなく2才になるゆうちゃんが、簡易ベッドに横たわり、泣き叫びながら検査を受ける様子を、いたたまれない気持ちでずっと撮影をしていた。つらい取材だ。何万人の福島の子どもたちがこの検査を受けるのだろうか。ただただ子どもたちの健康に放射能の被害が及ばないよう、ひたすら願うばかりだ。

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