2012年1月 猛地吹雪ツアー報告

郡山を朝早く出て、昼前に新幹線で七戸十和田駅に到着すると、粉雪がしんしんと降る銀世界が待っていました。
前夜から降り積もった大雪を片づけていたと、迎えの荒木さんがだいぶ遅れてご到着。

予定のプチグルメの昼食は諦めて、次の新幹線で到着した島田監督と合流しました。
午後からは中川さんの学習塾をお借りして、青森の皆さんと総勢7名での映画制作合同会議となりました。
小笠原さんと久保田くんが苦心して接続したビデオプロジェクターで、島田監督が徹夜で編集してきてくださったプロモーションが披露されました。
弘前で長く続けられているお母さん達のデモの様子、福島の避難区域から関東に移住して出産にのぞむ若いお母さんの話、そして古くから反核燃の声を上げてきた若松ゆみさんのインタビューと、一貫して女性の視点でまとめられていました。
命を生み守る女性には原発や核燃が受け入れ難いものだということが静かに伝わってきて、福沢さんはじめ、出席者からたいへん好評でした。
その後は、近所の温泉で暖まったあと、荒木さんの育てた長芋やじゃが芋の手料理、地場産のお刺身などをいただきながら、夜も更けるまで地元のお酒を酌み交わしました。

2日目は荒木さんの運転で雪道を出発し、島田監督がところどころで冬景色を撮影しながら、下風呂温泉に向かいました。
島田監督が「つらら、とりたいんだけど」と言ったのを、私がつららで遊んだ子供時代を回想し、噛み合わない会話に大笑いしながらの雪道ドライブでした。
あいにく、つららの良い光景は撮れず、「猛地吹雪」体験もできませんでしたが、雪原や冬の海の荒波、対岸の渡島半島などがうまく撮影できたようでした。
また、泊の種市さん宅に立ち寄り、雪深い中でもお元気なご様子にお目にかかれたのは何より嬉しかったです。
種市さん宅から港に抜ける路地には「寺下力三郎後援会」の古い看板が残っていて、感慨深いものがありました。
ちなみに、この「泊」という地名は漁港のある場所に多い地名だそうで、私が育った北海道の白糠町にもありました。
また、下北にもやはり白糠町があり、どちらにも共通する、海岸の地形の特徴を表したアイヌ語「岩磯のほとり」=「シラリイカ」に由来することがわかりました。

徹夜明けの島田監督が体調を壊し、アンコウ鍋を一緒に味わうことができなかったり、監督が追跡取材していた妊婦さんに予定より早く陣痛が起き、出産シーンの撮影ができなかったことなど、アクシデントもありました。
ことに出産シーンについて、監督はこの映画の山場と考えていたのだとたいそう悔やんでおられ、このツアーの言い出しっぺの私は本当に申し訳ない気持ちになりました。

最終日は道の駅で野菜を求めたりしながら、快晴の青空の下を帰路につきました。

山内尚子

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